2008年8月30日

中止のご連絡

各位様。

本日駒沢公園で予定されていた"wild jive"は中止となりました。
楽しみにしていた方申し訳ないです。。
残念です。

次回のこのパーチーですが・・。
9月28日でゲストにDJ HIRO(OPTIMO)を迎えて開催される予定。



hiro.jpg

















83年よりプロとしてDJ活動を開始。
クラブシーン創世記の80年代前半、現在のクラブブームのきっかけにもなった西麻布”TOOL BAR”で毎週土曜日のレジデントDJを務める。HIP HOP DJとして全国のクラブでプレイし、LL COOL Jの初来日ライブでは前座を務めた。FM横浜開局の看板番組“丸井 24CLUB”で日本で初めてのマスターミックス番組を手掛け話題となる。HOUSE MUSIC全盛期の88年に渡米し、当時N.Y.で最もアンダーグラウンドなクラブ”CHOICE”で伝説のDJ LARRY LEVANと競演した。帰国後、日本初の大型クラブ”GOLD”でレジデントDJに抜擢される。日本で初めてDJの視点でプロデュースされた新譜レコード ショップ”OM RECORDS”をプロデュース。この店は音響に約1500万円という予算を掛け、世界で一番音が良いレコードショップを実現した。91年、現在は老舗と なったクラブ”YELLOW”のオープニングDJに抜擢され、土曜日のWORLD CONNECTIONでは日本人初のゲストDJを務める。96年、日本を代表するジャズピアニスト、菊池雅章と制作した”KOTE MOUN YO”がN.Y.のKING STREETレーベルよりリリース。エディットとリミックスにはFRANCOIS K.とJOE CLAUSSELLも参加し、BODY&SOULやSHELTERなどでヘヴィープレイされ話題となった。97年、渋谷に中古レコードショップ “REAL MUSIC RECORDS”をオープンさせる。2003年、渋谷宇田川町にオープンしたレコードショップ”stylus”をプロデュース。2007年、オンライン・ レコードショップ “Optimo”をプロデュース。世界の3大広告賞の一つと言われるONE-SHOW INTERACTIVEのEコマース部門で最高のGOLDを受賞する。現在は青山の老舗クラブ“LOOP”で毎月第一土曜日に行われている“SOUL MOVEMENT”を中心に全国各地のクラブでプレイ。


このパワーは来週のSEXSEXSEXでエクスプローーージョン。
予定。



 2008年8月29日

明日の駒沢公園

明日の駒沢公園で開催されるフリーパーチー
は天気予報と睨めっこしている最中です。

お昼12時からの降水確率は30%と下がりますので
現在開催に向けて鋭意準備中、との事。

ですが、開催場所は念を入れて駒沢通りの
バスケットボール場の橋の下で。

万一中止の場合は唯一このblogにて
明日のお昼11時までに発表致します。

KATSUYAさん昨年は駒沢公園で台風もK察も
乗り越えてたんで今年も期待。

03_logo.jpgのサムネール画像のサムネール画像












wild jive@駒沢公園(バスケットボール場)
8/30(SAT) 15:00 START till 21:00

KATSUYA(Nature Soul)
KOJIROakaMELT(CHANNEL03)


 2008年8月26日

ほりえもん

今週末土曜日(8/30)は天気大丈夫なんかな?


駒沢公園で開催されるフリーパーチーは雨天中止だよ~。
週間天気予報を見ると一進一退ですね。晴れる事を願ってます。
コチラで中止の場合は告知しますので、チェックしといてね。


その次の週の金曜日はSEXSEXSEX@moduleです。
ほりえもんのブログ

10009584301.jpg













天才の視点です。

 2008年8月19日

崖の上の・・。

8/309/5・・告知ばかり続いたので・・。

旬な話題。


FREE PARTY"wild jive"

8/30(土曜日)に駒沢公園でフリーパーチーを開催決定!!!
ビール持って遊びに来て~。


freepartyM.jpg



























artwork by
Fantasista Utamaro & text-5 & PECO

先週みんなでお茶してた時に、三人がサクっとその場で 描いてくれました・・。



FREE PARTY"wild jive"の続きを読む


 2008年8月 9日

SEXSEXSEX FLYER

9/5(FRI)@moduleで開催されるSEXSEXSEX
のフライヤーデザイン。

なんと・・デザイン違いで数種類あります。



sss_0905_omote.jpg















sss_0905_ura_01.jpg















sss_0905_ura_02.jpg














art by Takuma Maesawa

 2008年8月 8日

タモリ氏の故・赤塚不二夫への弔辞全文

 「8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念で す。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代 に強烈に受け入れられました。

 

 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでラ イブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不 二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、 私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度 肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

 しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けまし た。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたこと は、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がり ませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れまし た。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたこ とがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてが ギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩 いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やか になり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これ でいいのだ』と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが 本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、 お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑い やってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があ なたへのものとは夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀 な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当に お世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義」

 2008年8月 4日

美術館に収められたクラブのお話

(From Oops 7/31)



昨年惜しくも亡くなったトニー・ウィルソンが設立し、ニュー・オーダーハッピー・マンデーズを世に送り出したレーベル、ファクトリー・レコーズが、地元マンチェスターで運営していた、伝説のクラブ〈ハシエンダ〉のドアが、美術館に展示されることになった。
 
 マンチェスターの美術館〈Museum Of Science And Industry〉に展示されることになったのは、〈ハシエンダ〉の搬入口のドア。展示は、美術館の25周年を記念して企画された展覧会の一部となってお り、美術館のマネージャーは「過去25年間で、マンチェスターの現代産業は大きな変化を遂げてきた。それは、90年代のマンチェスターの音楽シーンの隆盛 にみられるように、製造業から、よりクリエイティブな産業への移行を示していてる」と、今回の収蔵の理由を語っている。
 
 ファクトリー・レコーズのカタログ番号FAC 51が与えられ、82年にオープンした〈ハシエンダ〉は、マッドチェスター・ムーヴメントの中心となりながらも、レーベルの倒産や経営難により97年に閉鎖され、跡地は現在マンションとなっている。

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